「ビテン……起きて……」 机に突っ伏して寝ているビテンの肩を揺するマリン。 ビテンと同じ黒い瞳は優しささえ湛えている。 今は昼。 太陽は天頂に昇っていた。 「特に今回の講義に得る物が無い」 と割り切ったビテンは睡眠を選んだのだった。 「ビテン……御飯……」 「む……」 「御飯」 の言に反応するビテンであった。 まっこと業が深い。 「むに……」 と睡眠欲に柔軟に抵抗しながら目を覚ますと、 「あう……おはよ……」 とマリンの笑顔が出迎えてくれた。 それだけで心が満たされるマリニスト。 「おはよ。くあ……」 挨拶は欠伸混じりに。 「講義は終わったのか?」 「とっくに……」 「さいか」 特に罪悪感の持ちようもなかったが。 「一応版書はしてるけど……」 「必要ねぇなぁ」 これを本気で言うのである。 「ビテン?」 今度は別の人間に名を呼ばれる。 ビテンたちの学年の首席。 名をクズノ。 新入生ではまず優秀とされる魔女の卵だ。 特にビテンが気にするところではないのだが、先日の決闘以来何かと関わることになった存在だ。 「今日はマリンのお弁当ですの?」 「いえ……用意してません……」 「学食か」 睡眠欲より食欲が勝ったが故のビテンの言だった。 「あう……。だね……」 申し訳なさそうにマリン。 その心情の推移は手に取るように理解でき、 「気にするな。無理することはないんだから」 マリンの頭を撫でてあやす。 「わたくしもご一緒しますわ!」 クズノのちょっかい。 「二人きりにさせてくれ」 いっそ清々しいビテンだったが、 「駄目……」 とマリンに拒絶される。 「マ〜リ〜ン〜?」 ジト目のビテンに、 「ビテンは……もっと世界を広げて……」 「お前はそれでいいの?」 「あう……」 駄目らしい。 「では何故だ?」 との視線に、 「私は……ビテンを……縛りたくない……」 健気な言葉を紡ぐのだった。 そして、 「あう……」 と赤面する。 「可愛いなぁもう!」 ビテンはマリンに抱き付いて猫可愛がり。 「ビテン……駄目……」 「俺が嫌だ」 論ずる余地がなかった。 そんなビテンの襟首をひっつかんで、 「では行きますわよビテン、マリン」 クズノは少女にしては強い膂力で引っ張る。 「だね……」 マリンも思いのほか肯定的だ。 「クズノ」 「何ですの?」 「邪魔」 「わたくしはビテンを評価していますわよ?」 「でも邪魔」 「あなたが研究室を持つようになったら真っ先に教えなさいな。そこに所属してあげますから」 「だから邪魔」 どこまでもけんもほろろだったが、 「ビテン……嫌いになるよ……?」 ムッとしたマリンの言にムッとして黙り込む。 ズリズリ。 「マリンは俺のこと嫌いか?」 「あう……」 「なら何でだ?」 「ビテンには……広い視野を持ってほしい……から……」 「特に興味ねぇなぁ」 「だからそれが……」 「先は遠いですわね」 クズノが同情の視線でマリンを捉えた。 「クズノからも……言ってあげて……」 「ビテン?」 「何だ?」 「わたくしと婚約なさいな」 「死んでしまえ」 ズリズリ。 マリンにしろクズノにしろ美少女には相違ない。 そんな二人をお供に連れているため、ビテンに憧れる者にとっては羨望の眼差しの発生はやむを得なかった。 * そもそもにしてビテンは美少年だ。 神様が丹精込めて造ったのだろう。 顔は整い左右対称。 造形美と云う言葉がよく似合う。 瞳には快活さが溢れている。 これは情熱の快活さだ。 マリンに惚れこんでマリン第一に生きているためビテンの毎日はハッピーハッピーだ。 そうと知ってはいても格好良く快活でもあるビテンは気さくであるため学院の女子にも人気だ。 学院唯一の男でもあり、女子校であるはずの学院の女生徒が男性に免疫を持っていないことも原因の一つには違いないが。 クズノとの一件以来ビテンのファンクラブまで出来る始末だったが、当人はある一定以上のしがらみを嫌うためタッチはしていない。 憧れる女生徒多数ではあるが、気さくに話せる女子はグッと減ってマリンとクズノ。 後は最近仲良くなった、 「お、奇遇っすね」 「堂々と入り口で待ち構えてそれを言うか?」 シダラくらいのものだ。 「いや、一緒に食事をしたく」 恥ずかしがりながら鼻頭を掻くシダラだった。 赤い髪は鮮烈で、落ち着いたマリンの黒い髪とシルクを思わせるクズノの白い髪と比較して躍動感を覚える。 最近は過去に袂を分かった(シダラ自身はそう思っていないのだが)友人との関係も良好となり、その因果を創ったビテンに感謝するとともにさらに仲良くなろうと忍び寄ってくる。 いわゆる一つの恋慕には違いないのだが、美少年かつ義理堅いとなれば惚れない乙女の方が少数派だろう。 「何を食うっすか?」 「ささみカツ卵あんかけ定食」 「日替わり定食」 「ランチコース」 「ふぅん」 どうやらメニューを決めていないのはシダラだけらしかった。 学食は無料だ。 大陸魔術学院は学園都市国家の立場であるため魔女の卵には親切設計。 クズノはバックボーンの使用人が食事を用意してくれるが、隙を見てはビテンと食事を共にしようと躍起になるため多少困り者だ。 時にはビテンとマリンとシダラを会食として招くこともある。 どっちが正しいわけではないが当人にとってはどちらもがビテンへのアピールと云えよう。 今のところビテンの心には届いていないのだがクズノは焦ってはいなかった。 根気強いとは少し違うが。 全員が学食で注文して食事を開始する。 学食は学生で溢れかえっているため男子のビテンが悪目立ちしており、マリンとクズノとシダラにツララの様に尖った視線がぶつけられるが今更だ。 マリンは、 「来るもの拒まず……」 クズノは、 「後ろめたいことはありませんわ」 シダラは、 「いや、参りましたっすね」 と、それぞれ事情は違えど衆人環視に対処している。 ビテンは言わずもがな、 「女性とはマリンか否か」 などと有り得ない二極化をしているため居心地の悪さを覚えようはずもない。 度量が深いのならまだしもマリニストであるだけなので救いようが無いのもまた事実。 クズノにしろシダラにしろ理解はしているものの諦めていない辺り純情だ。 席に着いて昼食をとりながらビテンは話題を提供した。 「で、その後どうだ?」 シダラへのソレである。 「まぁまぁっすね。ぎこちなさが残るのはしょうがないっす」 「ふぅん?」 「でもこの前は一緒に食事したりもしたっすよ? 一応のところ一歩一歩前に進んでいるはずっす」 「よかったな」 「はいっす」 「そいつと飯を食えばいいだろ」 「ありゃ。そこに結論が落ちるっすか」 パスタをフォークでクルクル巻きながらシダラが言葉を探す。 「あー……」 と呻き、 「まぁ近しくなった縁でもありますしソレも大事にしたいかな、と」 「私は……歓迎……」 「本気かマリン?」 「ビテンにとっても……いいことだと思うよ……?」 「むぅ」 「それに……シダラも……クズノも……美少女だし……」 「マリンの方が可愛い」 「あう……」 照れ照れ。 「夫婦漫才ですわね」 「マリンは顔良し胸無し器量良しっすね」 最大のライバルではあるのだが敵対関係ではなく和やかな空気が流れる。 「そもそもお前ら俺のどこがいいんだ?」 「格好いい」 「優しい」 「遠慮ないし」 「魔術の才能もある」 「一途に尽くすタイプっぽい」 「世話のし甲斐がありそう」 「…………」 最後の沈黙はビテンのモノだ。 どう答えたものか。 どう嫌われればいいか。 そんなことを考える。 自身がマリンに遠慮されているためクズノとシダラの気持ちもわからないではないのだが。 結局また一人、ビテンの隣に座る乙女が一人増えたことには違いない。 |